FC2ブログ

非@食べ歩き

食の本~感想・記録・書評みたいなこと。食のニュース批評・食文化の研究を通して食事力を鍛えてます
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
4894740362
『リスク眼力』 小島 正美

牛肉はあまり食べなくなったと、前に書きました。
鶏やブタで味に不満がなくて、経済的にも安くつくので自然、こうなっているのですが、それでもたまに牛肉が食べたくなることはあります。

独身の頃は、ダイエーで98円のかたまり肉(もちろん米国産)を、どさっと買ってきてはステーキにして食べた。
結婚してからは、すたみな太郎という食べ放題屋で、焼き肉(当然米国産)をたらふく食べた。牛タンがとくに良かった。
数ヶ月に一度ぐらいでしたが、肉をめいっぱい食う幸福感が、映画よりも安く買えたのでした。

肉なんかどうでもいい。なんて前に書いたと思いますが、前言撤回。ごめんなさい。
思い出したら、食べたくなってきた。

で、そんな幸せに水を差したのが、BSE問題です。
とんだバカ騒動のために、食の楽しみが一つ消えてしまった。

私にとって、BSE報道で最も古い記憶といえば、牛がよろよろと、坂道かどこかで滑りながら倒れるというVTRです。
脳みそがおかしくなって、あんな風に死んでいく牛を食べたらエラいこっちゃ。と、マスコミも理解していない段階でかき集めた、怖い資料の垂れ流しにすっかり洗脳されていたと思う。世の中もそんな感じだったのではないかと思う。

いまでは、様々な(自分にとって都合の良い)情報をあちこちで仕入れた結果、米国産牛ないしBSEは、問題視する価値無し。という結論にいたりました。
価値がないというのは、イコール、危険性が皆無という意味ではありません。適切に処理された牛肉を、バランスある食生活に取り入れることや、
まとまった量を、たまに食べる場合に、その危険性を考えることは、全く価値が無いという意味です。
つまり、BSEに感染する危険性はゼロではないが、幸せな食生活のために、その脅威はあえて無視するということです。

このように書くと、危険性があるものを食べたいなんて、頭おかしいのでは?私は絶対食べない。という人もいるでしょう。
その考えも一つの正解、というか選択肢の一つです。

ですが、私は限りなくゼロに近いという、感染の危険性を心配するよりは、食べて幸せになることを望みます。

と言う話で、BSE感染のリスクと、食生活の充実という便益(ベネフィット)を例として、リスクとベネフィットの大きさを比較できる力、すなわち「リスク眼力」が必要である。と、まとめてしまうことはできます。しかし、本書では、もう一歩踏み込んだ考えが示されています。

それは、「偶然性のリスクを常にかかえた社会で皆が生きているという時代認識をもって、リスクを論じ留事が必要なのだ。こういう社会科学的な思考法もリスク眼力のひとつだ」ということです。

たとえば、BSE問題を、上記のように、個人的な牛肉嗜好だけに関連づけて考えることでは不十分だといいます。
BSEで死者が一人でるかどうかわからない、小さいリスクを大騒ぎする間にも、肉屋や外食産業で働く人には、自殺や、失業、破産のリスクが高確率で迫っています。

BSEのように、当事者にとって無関係な、天から降ってきたような災難は、いつ、だれの身に襲いかかるか分かりません。
消費者である私たちも、一歩外へ出れば社会人ですから、その災難に会う可能性があるということです。

天災や、BSEのような、天災に似た災難には、社会全体の協力をもって、対処する必要があると思います。
個人的に食べなければよい。食べないから輸入しなくて良い。肉屋がどうなろうと知ったことではない。という単眼的なリスクの見方では、「この社会を構成する一員としての想像力、痛みを分かち合う気持ちに欠ける」と著者は述べています。

人のことを考えれば、結局自分に返る。
情けは人のためならず。言い古されたことだけど難しいこと。そして
忘れられつつある。
食事力でなんとかなるだろうか。いや分からない。
ちょっと道徳的な締まりになってしまいました。

『リスク眼力』
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://guruman.blog62.fc2.com/tb.php/99-585eb265
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
ブログランキング・にほんブログ村へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。