松永 和紀
健康は、人が体に異常を感じる限り、死ぬまで解決できない問題である。
異常が、正常の裏返しという意味においては、健康は、不健康の解消された状態だと言える。
そして、この不健康の解消を目標とするのが健康産業である。
しかし、医療が病気を治すように、不健康を正す事だけがこの産業の使命かといえば、実はそうではない。
死の商人が紛争をひき起こしている、というのはただの噂話だが、健康産業が不健康感をつくり出しているというのは事実である。
たとえば、食品添加物や農薬の摂取が、健康を害するという文句。
一般の食品は、危険な化学物質まみれで、食べ続ければ健康を害するという。
それを避けたければ、今すぐ、安全な健康食品を食べなさいということだ。
毎日の食事が、体を不健康にしていると、不健康感をあおり立ててくれるのである。
なにもインチキ商売だと言いたいのではない。
安心感を買うことで、幸せになる人もいるだろうし、そのために
あれこれ手を尽くして物を売ることは、何も悪いことではない。
このブログで食を考えるとき、科学的な真実性は、関心事ではあるが、
最重要の問題ではない。
目標は、食事力と呼んでいる、毎日の食事を快くする知恵、技術を鍛えることである。
断片的な不安情報は食卓を暗くする。
不安と付き合うには、そこにあるリスクを、自分の価値観をもって評価することが大事だ。
漠然とした不安をリスクとして定数化できれば、そのリスクを取って、より大きな便益(ベネフィット)を得るという、選択して積極的な食生活ができるようになる。
その価値観を得るために、少しの学習は必要である。
農薬の不安情報は、食事がまずくなる原因の一つだ。
実のところ、農薬の印象は、30年前からあまり変化がないという。
いまだに白い粉をまき散らすイメージで語られているというのである。
そんなイメージにとらわれたまま、なんとなく毛嫌いし、不安を抱き、食を貧しくしていないか。
実体のない相手を敵にして、神経をすり減らしてはいないだろうか。
頭の中は変わらなくとも、現実の農薬は、技術、法整備とも、急速に改良が進んでいる。
この本は、農薬が、いかに安全なものへ変わってきたかを追うとともに、
決してゼロにはできないリスクを受けいれることで得ている、ベネフィットの大きさを示してくれる。
不安の対象をよく知らないまま、やみくもに非難するのは無駄であるばかりでなく、
より大きな便益を失うことになりかねない。
そんなことを考えさせられる一冊。
踊る「食の安全」―農薬から見える日本の食卓
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