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非@食べ歩き

食の本~感想・記録・書評みたいなこと。食のニュース批評・食文化の研究を通して食事力を鍛えてます
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『料理の消えた台所』
江原恵 著

「伝統的食生活の崩壊」が叫ばれて久しく、「伝統的料理文化の復活を期待」する声は、食育の流行もあって大きい。

そこで語られる「伝統的な食生活のよさ」についてはいずれ書こうと思いますが、
今回は、日本にそんな食生活の伝統が本当ににあったのかという話です。

世間では、現代のみだれた食生活をよくするため、伝統的な食生活の見直しに期待する声がありますが、それを”一種の幻想的期待感”だと著者は言います。
つまり、ありもしない記憶を、伝統であるとでっちあげ、その伝統を権威に借りてなんらかの解決をみようとしている。というのです。

あやふやなものを根拠に解決を探ることは無駄であって、時間の浪費は避けなければなりません。

では、伝統が無かったとはどういうことでしょうか。

無かったわけではない。と最初から切り出すのもどうかとおもいますが、
日本にも伝統的な食文化はたしかにあります。
料亭の包丁文化や、趣味的な茶懐石。あるいは寿司通、天ぷら通、うなぎ通といった食通、道楽ともいえる食文化がそれです。

しかしこれらは、その崩壊が問題とされているわれわれ庶民の食文化・食生活とはかけ離れた文化であって、復権が期待されるどころか、日に三度の食事が軽視される一方で、グルメだワッショイでますます関心は高まっています。

断っておかなければなりませんが、くり返し家庭で料理されることのないこれらのグルメは、今回話題とする食文化とは別の次元にあり、取り上げる対象ではありません。

食生活の伝統が無かったといいました。
実際のわれわれ庶民の食生活といえば、ご飯にみそ汁に漬け物。よくて他に煮物か魚の煮付、焼き魚などが付いた程度の素朴なものでした。

日本型伝統食を指して「穀類や野菜、海草を中心にした」とはよく言われますが、言葉だけを聞けば海山の幸とりどりの、現代に匹敵するような豊かな食生活があったかの様に錯覚します。

しかし現実は山の民が海の物を手にすることは大変珍しいことであったろうし、逆もしかりです。日常的に食べられたとは思えません。
栄養状態は悪く、死に至る病はいつも身近にありました。

これが日本の伝統的な食生活ではないでしょうか。
崩壊とういほどの文化だったでしょうか。もしくは崩壊して良かったと思いませんか。

そんなことを書いてみたくなったきっかけがこの本でした。
『料理の消えた台所』

われわれが各地の食べ物を自由に入手できるようになったのは、戦後に発達した食品産業の恩恵を受けられるようになったからです。
また、外食産業や食品加工業も悪者にされる一面はありますが、豊かな食生活の実現に貢献した度合いは大変なものです。

こういえばまるで食品産業礼讃ですが、産業が決定的に壊し、失われた伝統があります。それは家庭での手作りの伝統です。
味噌を仕込んだり、野菜を漬け物にして貯蔵したりする伝統です。
国民の大半が農家であり、そのほとんどが自給自足暮らしであったことを考えると、現代はほぼ跡形もないと言えるでしょう。

なにもいま味噌造りを始めた方がよいとは言いませんし、私も作ったことはありませんが、自分でやって出来上がったときの気持ちはおそらく楽しいものでしょうし、多少変わった味がしても「うまい」気分になれるんじゃないかと想像します。
そのうまさを生み出す術が食事力だと、ついでだから宣言しておこう。これはいろんなシーンで使える言葉だと思う。

それで思い出しましたが、すりごま。スーパーではスった状態で売ってますが、あれは何に使うのでしょうか。料理に疎いから知らないのかもしれませんが、あんな香りも風味も飛んでしまったものをどうするのか分かりません。
仮に、スるのが面倒な人向けだとしたらそれは惜しいことです。そこまで企業側の売らんがな論理に乗せられる必要はありません。指先でスる。すり鉢でする。ミルサーでスる。その程度の食事力でゴマは格段にうまい。

『料理の消えた台所』
江原恵 著
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