遠藤 哲夫 大衆食の会

うちの近所にも食堂がいくつかあるが、「大衆食堂」の雰囲気をもっとも残しているのはココじゃないかと思う。
ただ、残念ながらここはすでに営業されていない。いや、私がここに越してきて8年ほどになるが、はじめから閉まっていた。
仕事の都合でよく通りがかるのだけど、かつての主人であっただろうか、ひとりのじいさんが店先に座り通りを眺める様子をよく目にした。
あるとき不思議なことが起こった。
記憶があやふやだが4,5年前だろう。このお店は改装をした。
といってもおもてのペンキを塗り替えただけだ。
以前はたしか白基調にコカコーラかスプライトのロゴマークなんかも描かれてあったように思う。
現在の黄色いたたづまいはそのときからだが、「大衆食堂」の文字は忘れずにビシッと書き入れられた。
当時は店を再開する気だなと思っていたのだが、しばらくしてもまるで暖簾がつるされる様子がない。
そして、いつしか爺さんの姿も見なくなった。
それからは今のまま。
食堂としてはなんの存在価値もなくなったが、それは記念碑のようになお建ち続ける。
振り返れば外堀の背後に国宝彦根城。そばには師範学校から一〇〇年以上になる大学。近くのオーミケンシ工場はショッピングセンターになったしスタバもできた。カネボウ工場跡は新たなベッドタウンに生まれ変わりつつある。そこに食堂はあった。
歴史四〇〇年のこの街にも近代化は訪れた。「大衆消費社会」によるにぎわいの到来と観光ブームの洗礼も受けた。
この食堂が生きたのは、その歴史の一コマに過ぎないが、そのあいだ間違いなく誰かの生存を支えていた。
城を世界遺産に登録させようという動きが長年続いている。仮に本格始動すればこういった食堂の景色は歴史的景観を損なういかがわしい存在と排除の対象にされるにちがいない。
ならば仮に解体したとしてその後どうすれば「歴史伝統的」な景観となるのだろうか。
「人間の引きずって来た歴史を無視して復原はありうるのだろうかと疑いたくなる」といって伝統建築とその復原について疑問を投げかけたのは西澤文隆(『伝統の合理主義』)であるが、はたしてわれわれは、積み重なり引きずってきた自らの生存を、食堂に見いだし、評価できる目を持ち得ているのか。
ショッピングモールもスタバも、新しいものはあれはあれで便利で楽しい。また、対極にある伝統的景観もとても大切なものだ。だがその間にあるまさしくわれわれ大衆の文化のひとつだった食堂。これをただ古い汚い、いかがわしいとうち捨ててよいだろうか。まだ手に届くうちの歴史に目を向けることはすなわち、自らの足もとをまじめに見ることに繋がらないか。
著者の言う「昭和三十年代にして一九六〇年代の「たたずまい」をとどめている」東京の大衆食堂の現実は私には想像するしかない世界だが、それぞれの街のそれぞれの大衆食堂に、それぞれの大衆が生存して、そこにはそこの文化がある。
みやこあこがれ的な画一的開発(修景という開発もある)がなんのためらいもなくすすんでしまうこの世の中に、
食堂の黄色は死してなお、ちょっとまてとメッセージを発するのだろうか。
『大衆食堂の研究―東京ジャンクライフ』
遠藤 哲夫 大衆食の会
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


