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非@食べ歩き

食の本~感想・記録・書評みたいなこと。食のニュース批評・食文化の研究を通して食事力を鍛えてます
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『伝統の合理主義』西澤文隆 著

【5】復元とはなにか
復原


伝統”回帰”についてのメモ
復原(回帰)ではなく創造するという心構え
●社寺に入り込んで実測をやっていると、あちらでもこちらでも大々的な修復工事が行われている。出来るだけ忠実に初期の状態に戻すと言えば一見誠に結構なことに思われるし。本来は増築に増築を重ねて改変していくうちに造形的には美しいと言いかねる部分が生じてきて、純一無垢な初期の形こそ理想と思われる。ところで、初原の時点では禅院の方丈にしてもどの塔頭も同じ方丈を作ったと考えられるから、全部修復が完了した暁には一軒をみれば十分ということになる可能性があり、今のように塔頭ごとに個性のある表情を楽しむことは出来ない。第一文献がそれ程完璧に残っていることはあり得ないのであるから、復原者の感覚が入り込む余地は十二分にあり、それを復原と言えるかどうかも甚だ怪しい次第である。

●建築にしても庭園にして人が代々使ううちに、使い勝手や住む人の趣味によって、改変は常に行われる。その結果がそれぞれの塔頭の持ち味を醸し出してきたとも言えるのであり、こうした人間の引きずって来た歴史を無視して復原はありうるのだろうかと疑いたくなる。もし誰かが初元状態を考察してそれに戻すとしても、むしろその人の創作と見なすべく、復原などと言わず、初元と思いながら創作するのだと言い切った方が責任がはっきりしてよい。○月○日○○兵衛復原と少なくとも復原者の名を明記すべきではないか。本来は現状のままで心ないデザインのために汚く収められた所にメスを入れて、今現在実施者が最も伝統的で清潔な処理と思われるデザインで切開手術をするのが、一番妥当な方法ではあるまいか。必ず銘記して責任を明らかにすべきである。

復原


●初元の時点では白砂に立石した枯山水であったことには間違いないが、杉苔でびっしり覆い尽くされたこの庭は、年月の古びを加え、苔によって白砂以上に抽象化が進み、なんとも美事な景観になっていた。これを白砂に返した途端誠にドライな風景が現出した。抽象化は進めば進む程、内容は密度高くなるものだとしみじみ感じたものだ。
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