■内容
本書は『現代日本における家庭と食卓−銘々膳からチャブ台へ』(1991年刊行)の調査内容をもとにした、国立民族学博物館名誉教授、石毛直道による書きおろし論文である。
明治以来わが国の家庭での食事形式の変遷と、銘々膳やチャブ台の使用方法の調査結果を分析し、食卓が家族の成立に果たした役割が説かれる。
そして、現代日本の食卓風景と家族のあり方をスケッチし、
個食や食卓の外部化など、食卓の変化が家族の消滅を意味することの
文明論的解釈が語られる。
■感想 〜個食時代と近代家族の消滅
個食。家族がちがう時間に一人一人食事をとること。
家族を組織するひとりひとりの生活スタイルの多様化が、個食現象を生む土壌となっている。
個食の進行は家族を消滅させる。という。
家族という集団の発生が、食を分かち合い、共食(きょうしょく)することを基軸にしたと考えれば、その軸を失うことは、家族の消滅と等しいといえそうだ。
想像してみて欲しい。ともに食卓を囲まない集団を家族と呼べるだろうか。食卓を囲めばそれは「家族」なのだろうか。
答えを考えていて、以前読んだ本が気になった。
上野千鶴子 著『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』である。
その対談で、(家族の要素としての食と性について)
と語っている。「食と性の呪縛から解放されたら、家族はラクになりますね。そのかわり、今まで知られているような家族の形ではなくなりますが。でも、食と性に縛られたい、縛りたいという人もたくさんいるんでしょうね。」
「私は現状を変えたいから、縛られている人の気持ちがよく分かりません」
少なくとも家族との共食の呪縛から解放されてラクになりたいとは思っていない点では、私も縛りたい人の分類に位置する。
上野氏に言わせれば時代遅れということだろうか。
ともあれ、社会学者的には、家族の核としての食も性も外すことは可能であるらしい。
では、「今まで知られているような家族の形ではなくな」った家族の像とは一体何か?正直いって分からない。
だが、近代家族に取って代わるのは、
個人的な価値観に基づいて発生する選択的なコミュニティーを最小単位とする社会ではないかと想像はできる。
所詮は他人同士の集まりが、家族、地域、社会、国家を形成していくことは可能なのか、解読するにはまだ頭が硬いようだ。
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