成分表示の巧妙(?)なウラワザや、食品衛生法のヌケ穴の裏で、食品添加物がいかに深くわれわれの食生活にはびこっているかが明かされる。また、食品添加物の使用を前提として成り立っている、いびつな現代食卓事情に疑問を投げかけ、そのことが食文化の崩壊を招いていると指摘する。食品添加物の危険性を喧伝し、ただ不安をあおるのではなく、添加物をこんにちの(物質的に)豊かな食生活を支える「影」の存在ととらえ、それとの好ましい関わり方に提言を試みている点で、従来の「食べるな本」とは性格を異にしている。
◆感想〜添加物を容認しているのは我々自身である〜
われわれ消費者が商品・サービスに求めているものはの「安さ」「早さ」「便利さ」ではないでしょうか。この三大美徳がかなえられることによって、レジャーや趣味、外食、ファッションそしてケータイ等へかける費用と時間が生み出されたり、あるいは手間がかからないという気分そのものに満足感を得ることを期待しているのではないでしょうか。
そうした時間や金銭の節約、心の充足感を実現するため、食品添加物は我々の生活に欠かせない役割を担っています。その役割とは、省力化、低コスト化、簡便さの提供です。具体的には、本物っぽい味や色形をした食品が本物よりもずっと安く手に入ったり、成分としての栄養素をまとめて摂取することができたり、片づけもいらず、調理済のものがどこでもすぐに食べられたりします。また、本物の素材であっても、保存、鮮度維持が容易になるためロスをおさえたり商圏を広げることができ、低価格化に貢献することができます。つまり添加物は、普段の食事にかかる出費と手間やストレスを抑え、その分を別のより満足感が得られる楽しみへ投資することを可能にすることで、豊かさの実現を支えているのです。
だから食品添加物とは私たちの幸せのために不可欠なものとして存在しているのであって、その蔓延を容認、いや歓迎してきたのはメーカーではなく私たち消費者自身といえるのです。
◆たわごとのあと
あえて極論的に書いたのは、日常の食事が他のイベントに比べ相対的に軽視されていることを確認したかったらです。また、食事の準備から食べる行為、片づけに至るまでの手間や労力、時間が必要ないもの、ストレスを生じるものになりつつあることを示しておきたかったからです。
食育がもてはやされる裏側に「そんなことまでアウトソーシングできてラッキー」という、はじめから食育に無関心な親の気分が見え隠れするようで不安です。
食品の裏側
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