生源寺 眞一
食の安全や安心や、WTO/FTAの自由貿易圧力の強まりなど、食料と農業に関する話題に事欠かないこのごろである。
この本はそれらの問題を様々な角度から読み解き、考える切り口を丁寧に解説したものである。
著者曰く、日々氾濫する情報を整理し、無駄を廃棄し、日本の食料と農業の問題を見通しよく考えるための、「情報の整頓箱」の提供が本書のねらいなのである。
■次代の農村ビジョンを持つこと
相変わらず転職就農を模索(先送り?)していくなかで考えるのは、「なぜ農業なのか?」ということである。
農業を目指す理由が、たんなる田舎暮らしや、土と緑に囲まれた牧歌的悠々自適生活にあこがれるから、というのでは、金持ちの定年退職者ならともかく、それで飯を食っていこうと考える者にとっては、ほとんど実現性がないといって言えるだろう。
いわば、社長になれば好き勝手にできるからと会社を辞めるのとほとんど同じである。
そんな夢物語をまず否定するところから出発して、今なお自分の中にある農業へのあこがれ。この気持ちは一体なんだろうか。それを言葉にすることが「なぜ?」への答えになるのではないだろうか。
その答えを探す読書の中で、この本から得たのが、"次代の農村ビジョン”というテーマである。
日本の農村政策は、次世代の農業と農村を形づくる大きな方向性のなかで、現在、その中身を二つの大きな要素に区別している。
一つは、思い切って替えるべき要素。もう一方は将来に向けてしっかり守り抜くべき要素の二つである。
変えるべき要素とは、市場原理活用の強調を軸とし、株式会社参入、価格制度見直し、産地作り対策など、農産物市場にたいする政府の過剰な介入を控える方向への転換により、攻めの農業を育てることである。
また、消費者のニーズに敏感で、なおかつその手応えを糧として農業経営を行う者をしっかり支えることにより、結果的に自給率を上昇させようという狙いもある。
後者の守り抜くべき要素とは、農業の多面的機能と呼ばれるものが将来にわたって機能し続けることである。
このように書くと堅苦しいが、要するに、農業と一体となった自然環境の保全と、それらが見せる良好な景観の保護。
また、農業を支える水資源や環境を、農村の住民自ら保全することなどで成り立っている地域社会の維持と活性化。
あるいは農業生産と農村生活をめぐる教えや技、それが育んできた地方色豊かな文化の伝承などである。
それらが、農業の多面的機能として、国民の共有財産の認識のもとで守っていこうというのである。
変えるべき要素によって、市場原理の積極的な導入をもたらすことと、農業の多面的機能を守ることは実は相反する部分がある。
今、日豪EPA/FTAによる日本農業へのダメージが懸念されている。
日本農業へのダメージとはすなわち、これたもたらす多面的機能が失われることである。
しかし、国内においてニーズを重視した攻めの農業を強調するかたわらら、貿易に制限を加え続けることは、不自然なこととも言える。
もちろん相手の力量に桁違いの差があれば、政治的努力によってある程度の保護をかけることは必要だが、それも国内農業の改革によって力をつけ、段階的に解除されていくことが求められるだろう。
日本において農業が力をつけるとはどういうことだろうか。
経営規模、効率においては逆立ちしても大陸農業にかなうことはあり得ない。
自ずとコスト削減において国際競争力を持つことには限界がある。
では、なにをもって農業が継続されていくか。それが多面的機能である。
その価値を国民が共有の財産としての認識をもつことで、農業・農村が継続されていく。
それが納税による間接的な農村保護なのか、国産品購買意志による直接的な支援なのか、どういう形をとっていくのかはわからない。わからないが、水は低きに流れるという。金のかからない方に気持ちが動いていくことは止められないだろう。つまり輸入は増大するだろうということだ。
そのながれがとことんまで進んだとき、日本の風景がどう変わってしまっているか、これは何となく想像できるだろう。それをどう判断するかは国民に委ねられている。
私は、できることなら将来も、農村があって農業があって、地方色が豊かな文化があって、山紫水明、山海の幸にあふれる日本であってほしいと思う。グローバル化は避けられない流れだとしても、そのなかで価格を超えた快さを提供できるような、国内農業・農村が次代の農村のビジョンである。
私はそれを担っていく一員になりたい。とどこかで感じているようだ。
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