伏木 亨・山極 寿一・サントリー次世代研究所
「食の崩壊」が叫ばれて何十年経ったのかしらないが、新しい日本の食文化は、今の子供たちにも脈々と受け継がれているようだ。
食の崩壊をいくら叫ぼうとも、それが自身の問題であると認識されない限り何の改善も起こらないのは当然である。
事実、心の病の場合を除いて、この飽食の社会では、何を食べていても、空腹が満たされる限り、「食の崩壊」が原因で死んでしまうようなことはほとんどないにちがいない。
おいしいと思うものばかり食べて、好きな時間に好きなメンバー、あるいは一人で食べる。
デントー的な味や料理など知らなくても十分に食欲は満たされるし、知らなくて誰に迷惑をかけるわけでもない。
こんな状況でだれが、「私の食の崩壊」をなんとかしなければと思うのだろうか。
そもそも、現状の満足をあえて疑い、"崩壊"の崩壊を試みる価値は一体どこにあるというのだろう。
なんて・・、まあ、誰もこんなくだらないことを考えて崩食時代を謳歌してる訳じゃないだろう。
しかし、この「食の崩壊」と言われる状況の背景には、現代の我々の食に内在する様々な課題の存在。それに気づいていないという不幸があるのではないか。そんな課題をいろいろ取り上げ、議論してみようと言うのが本書の狙いである。
本書はまず、栄養科学者・伏木亨、霊長類学、人類学者・山極寿一によって「食の現代的課題」が提示される。
その上で、食にまつわる各界10名のゲストによる小論と、それをベースにした伏木、山極氏との鼎談によって、問題を議論していこうという構成である。
食育の意味や、食文化の継承、食糧自給率、などが取り上げられるが、中でも私が強く関心を持ったのは、食を介した人間関係についてであった。
これについては、ゲスト、鷲田清一氏の小論が面白かった。
少し引用する。
(私たちは)生き物としての「食える・食えない」ではない次元で解釈を入れて、自己と他者の境界にあるものをタブーにしたり、あるいは、「旨い・まずい」という基準で、まずいものは栄養があっても食べられないという新しい秩序に移行している。
食べることは命をつなぐ一番基本的なことだから、生理にベースがあることは間違いないんだけれども、その生理の次元での規則とは違う規則で作り変えたから、壊れやすいんですね。ものすごく、深いショックを受けたときに失語症に陥るのと同じ。すごく不安定なもので、何かショッキングなことがあったら、食べられなくなったり、食自体を否定したり、絶えず何かを食べていたり、あるいはものすごく早食いになったりする。
(略)
そこで、「共食」(きょうしょく)という、決まった時間にみんなで食べる形で、食事をリチュアル(儀礼)にしてしまって、決まった時間に食べる習慣をつくらないといけない。好きなときに食べていると食の構造・秩序は壊れてしまうから、リチュアル化して設定したのではないかと思う。食欲がなくても、この時間になったら一緒に食べましょうと。
私たちは、飢え、という生理現象に従って食べている。しかし食物ならなんでも食べるわけではない。なにかを「食える・食えない」というとき、それはその生理的理由により制限しているのではなく、実はその人の属する文化によって形成されたある秩序に従って、食べるものを制限している。
つまり、人の食は、動物的な生理に基づく行為であることは間違いでないにせよ、その生理とは次元の違う規則でつくり変えられた、壊れやすい、異常を起こしやすい行為になってしまっているということだ。
だから、「共食」によって食事を儀礼化することには、食の"たが"を外さないために大切なことではないだろうか。と論じている。
私は、「食の崩壊」はまず、父親の食事不参加が元凶だと思っている。
不参加の理由は色々あるだろうが、大方は仕事でいないからだろう。
結論から言って、これは解決不可能の問題であるが、せめて自分だけはそうならないようになれればと思っている。仕事の方を食環境に合わせようという気持ちでいる。
まあ、そんな思いもあって、農業で自立できないかな。なんて毎日妄想しているのですが。
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